大島小学校校歌

大島小学校校歌

                                  芦 田 惠之助 作詞

                                  田 村 虎    作曲                  

                  

   一 うな原広く見はらして

       亀山高くあふがるる

     景色すぐれし里中に

       我が学舎はたてるなり


   二 涙の松に吹く風の

      音は何をか語るらむ

     遠き昔の物語り

      きくにあはれの深くして


           三 通ふ吾らは朝夕に

      文の林を分け入りて

     安波の丘の灯竿と

        光を世には比べみむ


   四 よせてはかへす波のごと

         動かぬさまは山のごと
                    つとめはげみて世の中に


        たかき勲をうちたてむ

大島小学校 作詞者・作曲者プロフィール

本吉町在住で教育史を研究している菅原俊彦氏によれば,大島小学校校歌は,県内で7つある明治時代に作られた古い校歌のうち,3番目に古いとのことである。(ちなみに,県内で1番古いのは登米市立佐沼小M29,2番目は東松島市立大曲小M31,3番目は大島小M38。)また,作曲の田村虎藏と作詞の芦田惠之助は,ともに戦前の有名人であり,数ある校歌の中でも由緒あるすばらしい校歌である。

 

芦田惠之助

作詞:芦田惠之助(あしだえのすけ)(M6S26)兵庫県出身。

国語教育・作文教育家。東京高等師範付属小学校訓導となり,綴り方教育を提唱。明治35年,郷里に戻り,兵庫県姫路中学校の助教諭となり,ここで国語教育の実践を展開していく。

日本の植民地支配下の朝鮮・南洋群島で国語教科書を編纂。退職後,地方教壇を行脚。国語教育の権威で,「芦田教式」と呼ばれる学習法を生み出し,明治・大正期の教育に大きな影響力を及ぼした。

また,綴方教育の先駆者でもある。彼が作詞した校歌は,大島小学校校歌と京都の旧惇明小学校校歌の2つのみで,今に歌い継がれているのは,唯一大島小学校校歌だけであるということがわかっている。

 

 

田村虎藏

作曲:田村虎藏(たむらとらぞう)(M6S18)鳥取県出身。

東京高等師範学校兼東京音楽学校助教授。『言文一致唱歌』を提唱し,児童の発声法の改善を唱え,鑑賞教育の必要性を調した。七十年前にこれらの改革を提唱し推進した,わが国音楽教育の偉大な先駆者であるだけでなく,今もなお愛唱されている数多くの唱歌の作曲者として著名である。

主要作品

大こくさま きんたろう  はなさかじじい うらしまたろう 大江山 したきりすずめ 大寒小寒 うさぎ せみ 一寸法師 虫の楽隊 小さき星 青葉の笛 妙義山 とんぼつり 海辺 おひなさま 菊の花 山陰鉄道唱歌 お月さま  うぐいす 日本海海戦
 (下線の歌は,芦田惠之助の作詞による)