6年生 社会科校外学習「煙雲館」見学
400年以上の伝統を誇る鮎貝家は伊達家筆頭の家柄で,伊達家由来のものもたくさんあります。床の間の掛け軸は伊達政宗の書状で,下の小さな着物は正宗の幼少期,梵天丸の時代に着たものということです。竹に雀の紋が背中にありました。
鮎貝家のすごさ,その2は,近代短歌の父と言われる落合直文を輩出したことです。
直文は13才で仙台神道中教院に入り,その学校の校長だった国学者の落合直亮に才能を認められて,養子になりました。その後,東京大学古典講習科で神学や国文学を学び,国文学者,そして歌人として明治時代に活躍しました。第一高等学校(今の東京大学)などで教師をし,「ことばの泉」という辞典も作りました。(下の肖像画の下にあるのがそれです。)
歌人としては,1893年33才のころ,「浅香社」という短歌のグループを作りました。弟子には,与謝野鉄幹,与謝野晶子,高村光太郎,石川啄木,北原白秋など今も名を残す有名な歌人,詩人がたくさんいました。
ところで,5年生の子どもたちの使っている国語の教科書には,直文の「霜やけの小さき手して蜜柑むく 我が子しのばゆ 風の寒きに」という短歌が載っています。10年以上前,教科書の編集者から「今度の教科書に『季節の足音』というコーナーを作って,季節毎の詩や俳句,短歌を載せたい。東北地方の歌人と作品を推薦して欲しい」という依頼受けました。私と同じ気仙沼出身でしたし,当時,子育ての真っ最中だったこともあり。子を思う親心を詠んだ直文の短歌に私は惹かれていました。
「父君よ 今朝はいかにと 手をつきて 問ふ子を見れば 死なれざりけり」
肺の病気を患っていた直文に対して,「お父さん,今朝はお体の調子はいかがですかと心配する我が子を見ていたら,死んでしまうことなんてできないではないか。」という歌です。霜やけの歌も,病気療養のため一人家を離れている我が子を思い出して,寒い風が吹きすさぶ今頃は,可愛い手が霜焼けでかゆいんだろうなぁ,元気でいるのだろうかと心配している歌です。当時の私はこの歌が好きだったので,この歌を推薦しました。(昔話を語ってしまいました。)
鮎貝家のすごさ,その3は直文の兄の盛徳は初代気仙沼町長を務めた人だということです。市民会館の所に銅像が建っています。G先生が持っているのが盛徳の資料です。私も初めて二階に上げて貰いましたが,鮎貝家が治めていた頃の松崎村の地図もありました。中央を左右に走る青い線が面瀬川,赤田という地名もあります。子どもたちが,見つけました。
最後は国の名勝に指定されている池泉回遊式庭園の散策をしました。直文は「恋人」という言葉を初めて使った人とも言われています。なので,この庭園も左回りすると恋が成就すると言われているそうです。もちろん子どもたちは,色づく紅葉の下を左回りで散策しました。
鮎貝館主さんからは可愛いストラップのお土産までいただきました。貴重なお話の数々本当に興味深く聞かせていただきました。有り難うございました。子どもたちは,今日の学びを新聞形式でまとめるそうです。写しの一部でもお届けできたらいいなぁと思っています。
面瀬小ニュース
宮城県気仙沼市松崎下赤田58番地
TEL 0226-22-7800
FAX 0226-24-7215
omose-sho◎kesennuma.ed.jp
(迷惑メール防止のため@マークを◎にしています)
学校周辺の地図